自分なりのコツをつかむのは昔からなんか早い気がする。
自慢にも何もなら無いけど。

====

・「コツ」ってものは、たしかにあると思うよ。
 いろんなことを、うまくできるようになった人は、
 なにかをつかんだのだ、とも言える。
 たぶん、そのなにかをつかんだ人は、
 「ああ、これか」と思うようなことが、
 あったのかもしれない、なかったかもしれない。
 ことばになっていないけれど、
 身体がおぼえてしまっていることもあるからね。
 
 でも、その「コツ」っていうのは、
 「使いこなした道具」みたいなものだから、
 ことばで、その「コツ」をおぼえても、
 それでうまくいくというものではないんだよね。

 クラプトンみたいなギターが弾きたいって、
 クラプトンのギターを買ったとして、
 さてさて、弾けるのでしょうか。
 そう思えばわかると思うんだけど、
 その楽器(道具)なり、「コツ」なりが、
 ジグソーパズルのひとつ足りないピースのように
 求められている場合には、
 「これでできたかもしれない!」
 ということになるでしょうよね。
 
 でも、まだ練習をはじめてもいないときから、
 「コツ」を知ろうと思っても、なーんの意味もないし、
 それは、ほんとうに「ものにしよう」というときには、
 かえって「じゃま」になるような余計な知識なんだ。
 
 ‥‥なんて、じぶんに説教しているようなものだけど、
 まだよちよち歩きもできないような段階で、
 「ちょっとおぼえたら、すっとうまく行く」なんてこと、
 絶対にないから、ほんとに絶対にないからね。
 必要なのは、「コツ」だのなんだのじゃないんだよ。

 他の人が考えてない時間も、考えることだったり、
 みんながあきらめていることを、
 あきらめないでなんとかしようとしていることなんだ。
 「コツ」なんてことばを忘れるくらいになったら、
 他人が訊いてくるんだね、「コツはなんですか?」と。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
無数のコツを目から耳から入れてなにもしてない人もいる。