正月地元である大阪の茨木に帰って
何もすることがなくなった3日。

何気なくGoogleMAPをみて見ると。
前方後円墳が目に留まった。
かなり大きい。
しかも実家からそこまで遠くない。
自転車で10分かかるかかからないかのところ。

母も目の前でごろごろし続ける娘に業を煮やしたのか
どこか行こうかと遠まわしに聞いてくるので
ここっていった事ことある?と聞いてみたところその近くに友達が住んでるからあるとのこと。

雑草いけばなをしている母なので、野草をつむついでに自転車で行こうかということになった。
ついでに以前NHKでやっていた高槻の埴輪もそのこまで遠くなかったので
古墳巡りサイクリング&雑草取りを決め込んで出かけた。 
まず出かけた先は
太田茶臼山(ちゃうすやま)古墳
第26代継体天皇陵
IMAG0233
IMAG0235

ここは『Emperor of Japan』にも載っている。
今 知る。

そしてさらに面白いのがwikiによってあきらかに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

江戸時代中期に継体天皇陵に比定されたが、文献史学の立場からは、延喜式記載の所在地と異なるという問題点が早くに指摘されていた。さらに、出土埴輪の特徴は、5世紀中頃のものと考えられているもので、考古学的にも527年 (古事記) 〜 534年 (日本書紀或本云) に没した継体天皇の陵では在り得ないという意見が研究者の大勢を占める。これに対し、東へ1.5キロ程の所に所在する今城塚古墳は、所在地および考古学的に推定される築造年代が文献に記される継体天皇陵としての条件に合致する上、当該期の古墳の中では隔絶した規模を持っており、こちらこそが真の継体天皇陵と考えられている。

とのこと!
なんと天皇陵じゃないかもしれないと。

そして次に向かったのがこの古墳に納められた埴輪を製造されていた
埴輪工場とされる新池遺跡(史跡新池ハニワ工場公園)

埴輪がいっぱいあるところ!?と思っていたら
竪穴式住居と埴輪を製造した登り窯があった場所が残っているだけだった。

再度調べて
母の記憶にもあった埴輪がいっぱいあるかもしれない今城塚古墳へ

なんとこの今城塚古墳が先の第26代継体天皇陵かもしれないとのこと。
先ほどの厳重な塀はなく。
ユニークなかわいい埴輪が整列していた。
IMG_20140103_150126IMG_20140103_150401
IMG_20140103_150050IMG_20140103_150109

こちらも大きい前方後円墳。
しかもその古墳は出入り自由で整備もされていて公園化されている。
天皇陵とのあつかいが歴然!!
IMAG0237

自転車15分圏内でこんなところがあったとは不覚!な気分になりました。
歴史の勉強にもなったし
お金もかからず、人ごみもなく気持ちの良い三が日となりました。