・いつごろからか、テレビの視聴率を語るときに、
 「他の番組と競合しているのではなく、
  ゲームやカラオケや、インターネットと競合している」
 という言い方が出てきました。
 そのころは、ちょっと新鮮な言い方だったのですが、
 いまは、そんなことは前提でしょうという感じです。
 
 あらゆるものごとが、時間の奪いあいをやっています。
 娯楽と娯楽が競合しているばかりでなく、
 「ためになる勉強」だって、他の「ためになる勉強」と
 競い合っているというわけです。
さらに言えば「大事な仕事」と、他の「大事な仕事」も、 
 時間の取りあいをやっているわけです。
 
 「時間つぶし」のためのテレビ番組であろうと、
 命を賭けたと言いたいような「大事なこと」であろうが、
 その内容(コンテンツ)を乗せるお皿(メディア)は、
 時間というものです。
 同時にいろんなことができると思ったら大まちがいです。
 ひとりの人間が持っている「時間」は、
 みんなに引っぱりだこで、モテモテみたいな状態です。
 引っぱられた腕がちぎれそうな勢いです。
 
 いろんな遊びや仕事が、こっちのほうが甘い、
 こっちのほうがおもしろい、こっちのほうが重要だ、 
 こっちのほうがかっこいい‥‥と手招きをします。
 ひとりの人にしてみれば、なにもかも魅力的に思えるし、
 どれも試してみなければ損をするような気がします。
 だから、ちょっとずつあわてて付きあって、
 すぐにまた別のなにかに時間を使うようなこをくり返し、
 ずっと落ち着かぬままに、つまみ食いを続けます。

 人の時間を奪い合う側としては、
 その戦いに勝ちたいわけですが、
 逆の側にいる時間の持ち主である個人としては、
 ずっと目移りしているのは、
 じぶんの生を生きているような気がしませんよね。
  この、激しい時間の争奪戦のなかで、
 「北風と太陽」のような教訓が生まれるのでしょうか。
 あたたかい日差しのような時間は、すぐそばにある‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶんにとっての快適な時間を発見すること、なのかなぁ。
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時間について。
今所属している部署もちょっと仕事の分担が不明確な部分で
かなりごてごてなので
ゆっくりこのことについて考察してみたいなぁと
メモを残しておきます。